少し前になるが、7/30から8/12まで、今年で4回目となる「東アジア4大学建築学術交流セミナー」が台北(台湾)で行われた。4大学とは、今年のホスト校の国立台湾科技大学、武漢理工大学(中国)、成均館大学(韓国)、神奈川大学(日本)である。このセミナー、もとは個別の大学間交流であったものを、当時の高橋志保彦教授(現名誉教授)が中心となって合同の交流プログラムに拡大・発展させたものである。毎年開催地を順に変えて行われており、各都市の特定の敷地を課題としたワークショップを通して、東アジアの都市や建築について相互理解を深め、激動する現代東アジアの都市のあり方を考える貴重な機会となっている。今年、神大からは6名の大学院生と、重村先生、山家先生、佐々木助手と僕が参加した。 今年のワークショップ課題は、台北の中心市街地に残る日本式住宅地区(上写真:筆者撮)の再開発である。台湾は20世紀の前半、日本によって統治されていた。現中華民国総統府(旧台湾総督府)の建物などは、日本が建てたことがよく知られているが、当時の日本式住宅もまだ少なからず残っており、台北市は、それらを史蹟として改修保存しようとしているのである。今回のワークショップは、そうした住宅が集まる区画を、保存改修などを含めてどのように活用するかを計画させるものだった。 台北は19世紀末頃にできてきた新しい都市だが、その骨格は日本統治時代に形成されたという。街を歩くと、とくに旧市街では、1階をセットバックした建物が連なる(写真:筆者撮)。「騎楼」とよぶそうで、元は中国人(福建)が東南アジア全般へ広めたという話だが、当時の日本統治政府は、そうした伝統的な建築言語を都市計画に取り入れたというから、ちょっと驚いた。総督府のような洋風様式建築を建てながら、日本式住宅も建て、かつ土着の「騎楼」型都市建築をも組み込むというのは、近代的都市計画からみると脈絡がないようにも思えるが、必要な場面で必要な形式を配するという点ではとても実際的で柔軟な姿勢といえる。実際、今回の滞在中は、台湾で多数の死者が出た台風に直撃されたが、大雨のなかでも「騎楼」のおかげで町中をなんとか移動することができた。亜熱帯の気候にはまさにうってつけである。 敷地周辺は、まさにこうした多様な建築言語が混在している。学生6グループの提案には、縁側や騎楼に着目した提案も見られ、興味深い内容のものもあった(詳細は神奈川大学建築学科HPに掲載予定)。思えば横浜も、台北と同じような時期に成立してきた都市であるが、アジアの近代都市を考えるうえで、とても勉強になった。僕にとっては初めての台湾であり台北であったが、騎楼がつくる通りの夜市には人があふれとても活気がある。新市街では一転して東京のお台場のような新しい街ができ、超高層ビル台北101がそびえる。また人々の振るまいも日本人に近い穏やかさを感じたし(中国とは全然違う印象で正直驚いた)、食べ物もすばらしく美味しい。とても楽しく居心地がよい街だった。 なによりも、ワークショップの成功にご尽力いただいた、今回のホスト校であった国立台湾科技大学の先生方には、深く感謝したい。なお来年は、神奈川大学で開催の予定である。(N) #
by nodesignblog
| 2009-09-13 20:03
今週は僕としてはめずらしく、パーティーにふたつも行ってきた。ふたつは互いに無関係なパーティーだったのだが、奇しくもある共通人物がいて、それに興味をもった。 9月2日は、千葉学さんの学会賞受賞記念パーティーが六本木の国際文化会館で行われた(右写真:筆者撮)。千葉さんには何年か前に前任校の非常勤講師で2年間来ていただいたが、そのころに計画されていた、「日本盲導犬総合センター」がめでたく受賞となったわけである。小さな建物が集合し、屋根付きのうねった通路がそれらを結んでいる。千葉さんの建物は、槇文彦さんも祝辞で「切れのいいスクール・オブ・トウフ(ちなみに反対はスクール・オブ・パスタらしい)」と喩えていたが、いつもやや硬質な感じというか、かっちりしすぎている印象があるが、この建物は、犬というデリケートな動物を扱うからか、あるいは富士山の絶景(敷地はあのオウム真理教富士山総本部跡地とのこと・・・)への配慮からか、とても柔らかい印象の建物になっているように思え、素直によい建物だと思った。 ところで、意外に感じる人もいるかもしれないが、千葉さんは東大の香山研究室出身である。ということで、香山壽夫さんが祝辞を述べられた。実は2つのパーティーの共通人物とはこの香山さんである。建築家としての香山さんというと、古典的モチーフや対称軸を使った、大文字なデザインの印象が強い。またその研究は、H.H.リチャードソン研究が有名だが、アメリカの新古典主義建築を題材にした形態構造分析に関するものである。実は、僕がいた坂本研究室で構成論を構想しているときには、香山さんの研究は重要な既往研究として、参照対象であり批判対象であった。こちらのスタンスは、常にそうした幾何学的な形式論からの距離をはかるようなところにあったともいえる。そのような意味で、仮想敵というと大げさだが、批判的に意識しつつ、一方では建築の形式論という関心を共有する同志?のような印象を、一方的に抱いていた感じもある。 千葉さんの会での祝辞では、槇さんの名祝辞との差をつけるためもあったと思うが、そうした形式研究者の香山さんらしく、千葉さんの建物の幾何学的な方法について語られていた。しかし上でも述べたように、この建物はたしかに構成は幾何学的なところもあるが、ひとつひとつのシーンや場所があつまった、もっとゆるい領域のようなやさしいデザインがみられる。これまで香山研関係では、たとえば小林克弘さんのように、幾何学的な形式を標榜するようなイメージが強烈だったせいか、千葉さんの、とくに盲導犬センターで前面に出てきた、こうしたやさしい感じは、あまりつながりを感じない印象があった。 千葉さんと香山さんってどういう風に結びつけられるのかなあと思っていたのだが、その答えにつながるヒントを与えてくれたのが、9月4日に刊行記念パーティーがあった、編集者の長島明夫さんによる「建築と日常」という新しい雑誌(当人は個人誌といっている)である。長島さんとは、彼がエクスナレッジにいたころ、「住宅70年代・狂い咲き」とか「ザ・藤森照信」、「住宅デザインの教科書」といった本に協力したつながりである。退職後、雑誌を出すと聞いていたが、本当に出したのである。このご時世に、自ら雑誌(個人誌)を刊行するとは、たいへんな偉業であると、香山さんが祝辞を述べていたが、このNo.0号に、長島さんによる、香山さんへの興味深いインタヴューが載っているのである。その内容は、ぜひ本で実際に読んでほしいので、詳しくは触れないが、ヴェンチューリやアレグザンダーについての興味深い話や、形式研究の根底にある香山さんの考え方がとても面白い。宗教や共同体、持続性の話など、どれも千葉さんの盲導犬総合センターのあり得べき姿とも重なるようでもある。とまでいうと言いすぎかもしれないが、千葉さんの感性には、こうした香山さんの思想の影響が大きくあり、それは形式研究のバックボーンとしての香山研究室の良き遺伝子なのだと、勝手に確信した。 ところで、「建築と日常」には、僕も設計に関わったTokyo Tech Frontについての坂本一成さんのインタヴューも載っている。坂本さんのスケールの話もとても興味深く、香山さんの話と比較して読むと、両者の共通点と相違点が面白い。だいたい香山さんと坂本さんとを2本柱にして並べて本にしようという長島さんの試みが大胆すぎて面白い。「建築と日常」、ぜひ買って読んで欲しい。(N) #
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| 2009-09-05 21:14
先週の土曜日に、神奈川大学の授業で講師をお願いしている鈴木信弘さんが設計された「江古田KスタジオQUIET BRANCH」を見学させていただいた(右写真:鈴木アトリエHPより。http://www008.upp.so-net.ne.jp/atelier555/)。スタジオ付き住居と、2つの賃貸ルームから成る建物である。駅から歩いて数分の商店街の、やや奧に長い30坪弱の角地に建つ鉄筋コンクリート3階の建物である。まず道に面した壁面仕上げが眼につく。適度な肌理の凹凸のあるテクスチャが不思議で、聞くと木毛セメント板を打込みとのこと。フェルトポケットによる壁面緑化を行う予定らしく、木毛セメント板は断熱と保水性をもつ下地だそうだが、このままの仕上げでもなかなか面白い。 建物は、道路側と奧の2棟に分かれる。道路側の駐車スペースの上に賃貸2戸が積まれ、奧は4層のスタジオ付住居となっている。駐車スペース奧にスタジオ(地階)の入口があり、入ると天井の高い打放しのワンルーム空間が現れた。部屋の奧=南側に螺旋階段と吹抜けがあり、光が上から降り注いでいる。この上に、DK、BR、水廻りの3室が縦に積まれている。南の吹抜けがスタジオ、DK、BRの3室を空間としてひとつにまとめ、トップライトからの日差しを各室へ届けている。3階の水廻りは、今後緑化されるはずの屋上テラスへ出られる開放的な空間である。2階のBRから外部踊り場へ出て賃貸室へ移ると、いきなり部屋の中央にアイランド型のキッチンカウンターが置かれた部屋に入る。部屋といっても、20㎡あまりに過ぎないスペースを合板張りの薄い間仕切りで四つに区切った、こぢんまりとしたパーソナルな場所がつくられている。窓際の一区画は広いバスルームになっており、FRP防水の真白な空間である。 鈴木さんの作品を実見するのは、昨年の「虹ヶ丘の家」以来2つ目だが、他の作品も写真では拝見している。これまで木造の、様々な木の表情を活かした丁寧な設計の印象が強かったが、今回の建物では、シンプルでドライなRCの仕上げが、かえって全体を引き締めている感じがした。強いていえばだが、奧に建てられたオーナーハウスの開放性と、手前の賃貸部分と奧のオーナーハウスとの分節の曖昧さが気になった。前者の開放性については、オーナーハウスの各部屋には外が見える開口が3階を除いてほとんどなく、RCの壁に取り囲まれている感じで少々圧迫感があった。たとえば南側は吹抜けではなく、吹抜けの幅+αを、狭くてもよいから完全に外部の庭として、開口部を設けてもよかったようにも思える(隣接建物との目隠しは必要かもしれないがコンクリの壁にしなくてもよいように思える)。また後者については、手前と奧の2棟は、もう少し明確に分かれていてもよかったようにも思える。とくに2階賃貸の水廻りがはみ出して奧の建物に接している部分などが無く、狭くてもよいので2棟間の中庭状の外部になっていれば、オーナーハウスの開口部もより多く設けられ、開放感が増したのではないだろうか。 だが、そうしたことはともかく、僕が最も興味をもったのは、手前と奧に分棟とした配置のアイデアである。建物のプログラムは、一言でいえばいわゆるオーナーハウス付アパートという、ごくありふれたもので、通常は下にアパート、上階にペントハウス住宅とするのが定着したパターンである(その代表例は山本理顕のハムレットやガゼボであろう)。しかし今回の建物は、そういう縦積み型ではなく、敷地の手前と奧に、横並びに分棟とする新しい方法を取っている。考えてみれば、日本の都市の敷地割は間口が狭く奧に深いタイプが多く、手間と奧ではその環境が大きく異なる。街との一体感をつくり出しやすい手前に対して、奧は道路から離れた落ち着いた環境をつくることができる。この建物には、ありがちなオーナーハウス付アパートというプログラムを、そうした一般的な敷地の特徴を活かして解決する可能性を感じることができた。それは、もしかしたら、日本のいたるところに存在する近隣商業地独特の、新たな都市建築モデルになり得るアイデアではないかと感じた。(N) #
by nodesignblog
| 2009-07-20 19:54
(撮影:米井美由紀)
ゴールデンウィークなのでだいぶん前なのですが、 鳥取市鹿野町にある「鳥の劇場」での公演の様子を紹介します。 上演されたのは、三島由紀夫の現代能楽集から「熊野」と「葵の上」。 上の写真はアフタートークの様子。上演後には、演出した中島さんとお客さんが いっしょに話をします。 「私、”葵の上”を観るのは2回目なんですけど、前回別の場所でやったときと演出が 違ったのはなぜですか。」とか「三島のテキストの美しさが出ていた。」とか、次々と会話が 進みます。鳥の劇場ではレパートリー公演も含めて年に4,5回は公演があります。 近くに住んでいたら、いつでも質の高いお芝居を観ることができて、演出が違えばその違い についてたずねることができます。みな熱心。 (撮影:米井美由紀) 葵の上より 光源氏の正妻、葵の上を恨み殺そうとする源氏の愛人、六条御息所を題材にした現代劇。 愛人の六条康子を演じるのが男性で驚きました。確かに力強くて雄々しい女性ですが、 持っている念のタイプは「女性」だなあと。女性バージョンも観てみたいところです。 写真は、かつて、ともに過ごすため、光と康子がヨットに乗り湖上の別荘へ向かうシーンの回想。 ”こんなに楽しかったじゃない、私を捨てないで”と光にすがる康子。 康子の思いは生き霊となって、光の妻あおいをのろいで殺してしまいます。 汗とつばを飛び散らせてすごい迫力。 (撮影:米井美由紀) 熊野より 平家物語の、平宗盛と妾の熊野(ゆや)のやりとりを現代風に。 実業家の宗盛と愛人熊野は、同じ空間にいながら全く違う価値観で会話をしています。 熊野は感情で生きているような女性で、病気の母を思って(実は嘘ですが)うちひしがれ ていて、宗盛は人の感情を歯牙にもかけない。それよりも哀しそうにしている熊野の 美しさの方が重要なのです。 哀しんでいる美しい熊野を連れて、今年一番の桜を見物へ行きたい宗盛と、一刻も早く 母の元へ行きたい熊野との不思議なコミュニケーションです。 シリキレですが遅いのでまた後ほど。 (O) #
by nodesignblog
| 2009-07-01 03:03
「軽い」,「弱い」,「乾いた」など、建築家は様々な言葉でよくイメージを語るが、実はその内容はあまり重要ではない。重要なのは、むしろそういう比喩が、建築の物質性や形式性の革新のためのものなのか,あるいはあくまでも建築の意味を問うためのものなのかによって、建築家の思考も作品の様相が大きく異なってくることではないだろうか。後者の「意味」を問う人たちは、往々にして「建築らしい形式」をある程度ひきうけつつ意味を変えようとする。それがなくなると、建築がファッションになったり、根無し草になってしまうことを警戒するからだ。一方、物質や形式の革新へ向かう人たちは,そういう「建築らしい形式」を超えること(いわゆる近代の枠組みとされる)こそが新たな(現代の)建築へ繋がると考えている。実はその背景には、時代精神的なものを仮定し,それに対応する表現を目指す発想が潜んでいるように思える。 隈さんの「消す」という表現が物語る独特な性格は、認識としては上記の両方を理解しつつも、方法としてはどちらのスタンスも選ばない、ある意味でニヒルな姿勢である。別の言い方をすれば、隈さんしてみれば、どちらも空間の枠組み(架構や平面)の形式にこだわる時点で同じ穴の狢であり、そこにこだわることに関心がないか、そんなことは近代の方法論を運用すればよい、とでも言いたげなのである(このあたり、余談だが藤森照信のスタンスも実はよく似ている、あるいは藤森さんは、より輪をかけてニヒルともいえる)。しかしそうしたニヒルさの一方で、徹底して建物の「見えがかり」、もう少し正確には,建築と周囲との「見えがかり」には、とことんこだわる。その見えがかりのゴールイメージが「建築を消す」ことであり、そのために、建築の物質的な問題も意味の問題も、なんでもあり式に駆使されるのではなかろうか。 もうひとつ、隈研吾という建築家としての存在の興味深い点は、その驚くべき文脈力である。住宅,都市,歴史,社会,経済,政治,和風,サイバー,エコロジー,職人芸,海外など,どんな話題のときにも,ふとみると隈さんがいる。現代社会の様相に対するどこまでも貪欲な接触は,上で書いた現代の「時代精神」をつきとめようとする欲求かもしれない。独特なのは、普通そういう欲求を共有している建築家の多くは、つい近代建築を乗り越えるなどと言いはじめ、そのとたんに構造とか平面とかといった「近代建築的」概念と葛藤し始めるわけだが、残念ながら世の中の人々の多くは、そのようなことにはほとんど関心はない。そこが大衆と専門家の断絶の根ともいえ、そこに終始しても建築が閉じこもるだけであり、実はこの構図こそ既に近代建築やポストモダン建築が陥った事態ではなかったか?と、隈さん自身が考えたかどうか知らないが、はもはやそんな枠組みはすっとばして,一直線にモノ自体の「見えがかり」へと接続するのである(こうしたスタンスも、現れ方は大きく違えども,やはり藤森照信とかなり近いことに改めて気づかされる)。 このようにして隈さんは、現代社会で話題とされる様々な文脈と接続しつつ、形式ばった構造もプランの問題もすっ飛ばして、建築の「見えがかり」に直結する。それは、スキャンダルとヴィジュアルにダイレクトに訴え、そのわかりやすさはまさに現代的である。ある意味では、これまでの建築家たちの、どのようなエゴイスティックな表現からも距離を置いている、ように見える。しかし、少し結論を先取りして書くならば、隈さんや藤森さんのそういうスタンスも、結局のところ、現代の時代精神を仮定しつつ、建築の形式性そのものを否定する時点で、かえって狭い世界に囚われているようにも思えなくもない、のは僕だけだろうか?(これについてはまた次回)。(つづく)(上写真=森舞台/宮城県登米町伝統芸能伝承館:uratti.web.fc2.comより、下写真=タンポポハウス:tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jpより)(N) #
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| 2009-06-15 00:00
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