【鳥取】結婚式@仁風閣(重要文化財)

先日、鳥取の重要文化財、仁風閣(じんぷうかく)にて友人の結婚式。
1907年建立。のちに大正天皇となる皇太子嘉仁親王の御用邸。結婚式が出来ることはあまり知られていないですけど、舞台がよいと衣装も映えますよ。ぜひご一考ください。

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↑仁風閣正面

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↑サンルーム。真っ白な窓枠とビビッドな紅葉のコントラストがよいでしょ?
ここから、池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できるとのことです。(wikiより)

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↑ちょっと怪しげな写真が撮れてしまった。

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↑仁風閣前から、鳥取城跡の久松山(きゅうしょうざん)を望む。

次の日は、新郎新婦主催の鳥取ツアー。
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↑まずは砂丘へ。
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↑虹が出ていました。

その後鹿野町へ行って、その後倉吉の白壁土蔵群へ。
ここは、国の重要伝統的建造物群保存地区で、群として指定された珍しい例です。

↓そこの酒蔵、高田酒造さん。韓国ドラマの舞台にもなったそうです。

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↑みなで試飲。

久々地元で鳥取をみなおすよい機会でした。新郎新婦に感謝です。

by ogura
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# by nodesignblog | 2012-12-03 00:55 | 鳥取

米子市公会堂

米子市公会堂(1958年、村野藤吾)が存廃問題で揺れています。
鳥取の数少ない名建築の危機。
経緯や署名について下記に詳しく書かれています。
http://donguri-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-6a9c.html

米子市公会堂:存続と補強を陳情 求める会、署名も議会に /鳥取 毎日新聞 2010年7月13日 地方版
村野藤吾氏設計の市公会堂を使用中止に、米子市 2010/04/14
鳥取ワイド : 米子市公会堂「廃止も視野に対策検討」10/04/06
米子市公会堂の耐震赤信号 大ホール使用停止へ 2010年03月26日
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# by nodesignblog | 2010-07-14 11:26

逗子コンペ

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6月19日(土)に「逗子市第一運動公園再整備基本計画策定及び基本設計業務」公募型プロポーザルコンペの公開プレゼンテーションと二次審査があった。僕らは、神大OBで現在非常勤講師をお願いしている横浜の建築家・鈴木信弘さんとともに、「鈴木アトリエ+NODESIGN+神奈川大学中井研究室」というチームで参加した。応募77組から一次審査を通過し、二次審査対象の7社に選ばれていたのである。

結果は惜しくも「次点」。「最優秀」に選ばれたのは、伊藤寛さんのチームだった(ちなみに伊藤さんも鈴木さんと同じく神奈川大学出身)。

今回のコンペは、逗子市の中心地区にある第一運動公園の再整備で、多目的ホールを含む体験学習施設の建設やプール施設、駐車場類の再編などが求められていた。現地を見ると、緑が豊かで良い環境を作り出している。プールも老朽化はしているが、周囲の住宅地から離れたよい位置にある。駐車場もひとつにまとめてほしいと要項にはあるが、散在する施設配置を考慮すると、現在のように2か所に分かれていた方が便利にも思える。公園内のメインの道も、少し整備すれば綺麗な並木道になりそうだ。たった10億円という総工費を考えると、こういう施設配置はあまりいじらず、それよりも人々の活動をサポートする場をつくる環境整備にお金をかけた方がいいと考えた。ただし、こうした運動公園にはありがちなことだが、プールや野球場、こども広場などの各場所が、単に散在しているだけで、とりとめがなく、またアクセスの核となる場所もない。

僕らの提案はきわめて単純で、こうした既存の環境を最大限活かしつつ、公園を東西に貫く、約180mの「庇のみち」を挿入することであった。「庇のみち」は、文字通り庇だけがずーっと続く半外部である。そこは通路でもあり、日影で一休みできる場所であり、また災害時の救援拠点でもある。この「庇のみち」に沿って、駐車場やプール、体験農場、広場、そして廃止される50mプールの掘込みに多目的ホールを収め、高さを抑えた体験学習施設が隣接する。施設を利用する人々は、必ずこの「庇のみち」を行き交い、通り抜け、立ち止まり、休み、時間を過ごす。いろんな活動の場を隔てつつ、緩やかに結びつけることにより、この「庇のみち」は、シンプルでありながらも、人々の活動をそっと支える公園の、いわば「名脇役」になっているはずである。

公開プレゼンでの審査員のコメントを聞いていると、この「庇のみち」がヘビーなものに見えてしまったようだが、広い公園のなかで木々の間を縫うように、軽やかに一枚の長い庇が浮かんでいる風景は、とてもさりげなく美しいものになると思う。プール、体験学習施設、体験農場、ドッグランなどの多彩な内容を含むコンプレックス公園は、人々のいろいろな活動自体が風景をつくりだす方が楽しい。僕らはとにかく公園の環境に建築が出すぎることをできる限り避け、そのかわりに、人々のさまざまな活動を支え、それらの人々をさりげなく見守るような場所を提供したかったのである。そのことが伝わったなら、とてもうれしい。

今回は、神奈川大学中井研究室の修士1年が中心となり、また4年生も参加して我々チームが一丸となって取り組んだ。実力のある7組のなかから、次点にまで残ったことは、短い制作期間にも関わらず、みんなのがんばりの成果だと思う。前回の「浅草」に続き、残念ながら実施案選出には至らなかったのは悔しいが、またいろいろ勉強になった。次回に活かしたい。(N)
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# by nodesignblog | 2010-06-23 02:05

続・エコノミック・コレクトネス論 その3(結)

(前回からの続き)「エコノミック・コレクトネス」(建築文化9802)は、現代資本主義や商業主義(さらに大衆的民主主義)システムがつくりだす時代的風潮の徹底によって、新たな正当性を生み出す可能性について、やや楽観的に言及したものだった。現代のグローバル経済はまさにそのシステムを徹底させているが、重要な点は、このシステムには価値を正当化する論理が欠けていることだ。だからどんな「建築」を主張しても、だれもその価値を客観的に決定できない。先に隈さんが「エコノミック・コレクトネス」を実践していると書いたのは、その状況を踏まえた「スタンス」が際だっているからである。

隈さんの「建築の消去」は建築を社会に溶かし込むという意味で(また藤森さんの「野蛮」は私性に閉じこもるという意味で)、現代の時代風潮や精神を背後に仮定しつつ、建築という分野の固有性を定義することにはやや懐疑的な姿勢を感じる。そもそも「建築を消す」には、まず厳然たる「建築」概念が前提されなければいけない。それはまず近代建築概念であり、その点彼らの根底には、70年代以降の磯崎新的な「建築」解体の影響(正確には「誤解」→本ブログ「磯崎新北九州三部作」を参照)があると思う。彼らはいわばその極右として、建築言語の意図的な濫用や形式の無関心に至ったのかもしれない。いずれにしても、ここで僕が少し心配するのは、10年前にはあまり意識できていなかったのだが、隈さんの「建築を消す」志向が、やや抽象的な言い方だが、以下に述べるようにエコノミック・コレクトネスの最もよくない側面のひとつである、新種の「政治的正当性」を獲得するための手続きに陥ってしまうことである。

一般論として、自由な経済活動は、社会(民主)主義であれば政府が行うリスク・マネージメントをも、自らのシステムのなかにつくるほかないが、とくに現代の自由主義社会は、いわゆるモンスター・クライアント対抗策や個人情報保護など、あらゆるリスク・マネージメントのために、数多くの審査や認定のシステム(←天下りの温床)への依存度を高め、煩雑な回避・承認手続きを産み、それが膨らむことにより社会は官僚主義的に、しかも「自発的」に形式化している。今まで建築の世界で官僚的な「形式化」といっても、せいぜいがちがちに計画学どおりの硬直した建築を指すような素朴なイメージしかなかったが、現代社会の管理化はもっと巧妙に、しかも自発的に進行している。日本では、もともと官僚制度が強いところに、小泉政権の新自由主義的政策が重なり、それによってかえって管理強化を促進させたと思えるのはある意味皮肉で切実な問題だが、これもたとえばD.ハーヴェイのように「新自由主義」などを権力闘争として見るように、日本の場合には資本家と結託した一部の官僚機構のそれであるとするなら、ある意味当然の帰結ともいえる。あるいは、かつてM.ヴェーバーは究極の社会システムを官僚制に見ていたが、それとは異なった経緯を辿り、どうやらエコノミック・コレクトネス社会は、皮肉にも官僚制的な管理社会を強化するらしい。これがいわば、新種の「政治的正当性」を自発的に強要する社会だ。そういう社会の建築はどうなるか。厳しい経済と正当性の監視にがんじがらめになってしまったような、アメリカの現代建築がその典型的な例かもしれない。

e0105010_392714.jpgやや脱線したが、つまり隈さんの建築に象徴的に感じるのは、良くも悪くもそうした現代的な風潮のなかでの建築のあり方である。つまり「エコノミック・コレクトネス」的状況を意識しながら、そこを突き進むというよりも、その作品の「見えがかり」によってかわし、建築の文脈的にも、また対−世の中的にも、新「政治的正当性」を表明するスタンスである。近作である根津美術館(右写真:根津美術館HPより)における、屋根形や素材を用いた表現の精度の高まりには、素直に感心し敬服する一方で、その精度ゆえに上記の新「政治的正当性」が透けて見えてくる気がする。おそらく隈さんの社会認識は、たとえばレム・コールハースと並ぶほど現代的でニヒルだと思うが、隈さんに比べればコールハースは正面突破で、エコノミック・コレクトネス的アクセルを愚直に踏み切り、それを古典的(モダニズム的な)建築言語やプログラムを内側から更新するために利用する。だからコールハースの建築は安易な政治的正当性から逃れ続け、常にある種の悪魔的性格を伴う。しかし資本主義をあまりに美学的に捉え過ぎともいえるためか、実際の資本主義システムには受け入れられず、結果彼の巨大資本プロジェクトの多くは頓挫し、結局中国などの絶対的「政治的権力」を借りて作品を実現しているというのは皮肉でもある。一方隈さん(や藤森さん)は、そのような矛盾?を見透かした上で、資本主義システムにも、上で述べた新「政治的正当性」にも順応するしたたかさをもっている。そこでは、コールハースとは対比的に、プランニングや空間構成よりも「見えがかり」へ向かうことで、結果的であれ、新「政治的正当性」への配慮を主張するように見える。そのことを通して、行政の審査や認定システムと同じように、新「政治的正当性」の固定的な価値観が、閉じた社会との対応へと、建築を追い込みかねないように思えるのである。やっかいなのは、そうした社会側から見れば、まことしやかに建築が「開かれて」いるように見えることである。

何でも飲み込む「エコノミック・コレクトネス」的システムに対して、たしかa+uの別冊で磯崎新が触れていたように、たとえば建築を「文化」としてみるならば、その「コレクトネス」は、やはりその内側に、政治や経済の正当性に頼ることなく、建築だけが発見できる問題として見出されることが、本当に建築を開くことなのかもしれない。こうした考えは、ある見方からすれば、建築と社会との関係を絶ち、閉じこもる方向だと捉えられるかもしれない。だが、そもそも建築と社会との「関係」とは何だろうか?その「関係」において、建築が自らのテリトリーとして独自に主張できることは何だろうか。そう考えていくと、具体的な諸空間の編成を思考し、その形式を開発することを考え続けるしかないようにも感じている。(N)
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# by nodesignblog | 2010-02-01 02:37

レネ・クラル & 北仲スクール

e0105010_2182226.jpg 11月9日に大学で、デンマーク王立芸術アカデミー建築学部のレネ・クラル(René Kural)先生のレクチャーが行われた(右写真)。レネさんとは、僕が東工大の大学院生だったときに、彼が研究生で来ていたときからのつき合いだから、もう足かけ16年来のおつき合いということになる。僕がドイツへ留学する前にもちょうど日本へ来ていて、ドイツ語の先生をお願いしてしまったり、留学中にコペンハーゲンへ行った折りには自宅へ招待してくれたりと、たいへん世話になっている恩人である。その後僕が帰国した後も、彼がちょくちょく日本へ調査研究で来るたびに、なにかと定期的に会っていた。今年の3月も坂本研究室最後のゼミのときに会った。そのときに国際交流の話をしたのだが、それが今回、本学の学長との面談や打合せへと展開してきた。そして、せっかくの機会だからということでレクチャーをお願いしてしまったのである。

 日本語では、デンマーク王立芸術アカデミー「建築学部」と訳しているが、英語ではRoyal Danish Academy of Fine Arts, School of Architectureといい、むしろ完全に独立した建築のみの単科大学である。デンマークでは、こうした建築大学が、コペンハーゲンとオーフスに2つあるのみで、建築家になろうと思ったらこれら2校に行くほかにほとんど道はない。とくにデンマーク王立芸術アカデミーは18世紀から続く名門であり、卒業生にはヤコブセン、ウツソン、ケアホルムなどの巨匠が名を連ねる。そのような学校だからお堅いのかなと思いきや、実はたいへん現代的でユニークな活動をしているのである。とくにレネさんがディレクターを務める「スポーツ建築センター」などはそのひとつといえる。スポーツ建築といっても、別に競技場や運動場のことだけをやっているわけではない。レクチャーでは、ある巨大な工場跡を集合住宅にするプロジェクトを紹介してくれた。集合住宅といっても、建物よりもむしろ外部空間をどうデザインするのかが重要で、彼の計画では、誰も自由に、様々な運動やスポーツを日常的に楽しめるような工夫がされていた。またコペンハーゲンでは、誰もが都市の海で泳げるように巨額の予算を投じて水質が改善されたという。その風景は写真で見るだけでも刺激的で、いわば東京の日の出桟橋とか横浜の山下公園とかから、人々が自由に海に飛び込んで泳いでいるような風景が、現実のものとなっているのである。日本の都市でもアーバン・スポーツは盛んともいえるが、それはパブリックというよりもまだまだコマーシャルの域を脱していない。コペンハーゲンのいくつかの試みの面白さは、それが完全にパブリックになっていることである。こうした試みは、もはや単なるスポーツを超えてフィジカルな健康増進や娯楽であり、また建築を超えて都市というべきである。これは日本の都市空間をアクティブにするうえで、たいへん示唆に富んでいるし、実践の可能性も大いにあるはずだと感じた。

e0105010_22478.jpg 折しも、レネさんのレクチャーの数日後(11月19日)に、北仲スクール(横浜文化創造都市スクール http://www.kitanaka-school.net/)のプレ・オープニング・セレモニーが、馬車道のヨコハマ・クリエイティブシティ・センター(YCC)で行われた。これは横浜国立大、横浜市立大、東京芸大、神奈川大、関東学院大、東海大、京都精華大の7大学連携により運営される「学校」で、今年度後期の試行授業ののち、来年度正式に開校する。その内容は各大学の教員参加により、都市文化系(アート系)と都市デザイン系(建築系)の2系列の講義やワークショップなどを行う予定となっているが、個人的にはなんとなく、都市を思考するうえでの切り口が、もう少しあるといいと思っていたところでもあり、今回のレネさんの話はたいへん参考になった。ところでセレモニーでは、林文子横浜市長が挨拶されたのだが(右上写真)、そういえば以前黄金町バザールで中田前市長の挨拶を聴いたことを思い出した。こうした横浜の都市づくりへの試みは、市長が変わってもぜひ続けていってほしいと思う。(N)
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# by nodesignblog | 2009-11-30 02:11

2009東アジア4大学建築学術交流セミナーin台北

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少し前になるが、7/30から8/12まで、今年で4回目となる「東アジア4大学建築学術交流セミナー」が台北(台湾)で行われた。4大学とは、今年のホスト校の国立台湾科技大学、武漢理工大学(中国)、成均館大学(韓国)、神奈川大学(日本)である。このセミナー、もとは個別の大学間交流であったものを、当時の高橋志保彦教授(現名誉教授)が中心となって合同の交流プログラムに拡大・発展させたものである。毎年開催地を順に変えて行われており、各都市の特定の敷地を課題としたワークショップを通して、東アジアの都市や建築について相互理解を深め、激動する現代東アジアの都市のあり方を考える貴重な機会となっている。今年、神大からは6名の大学院生と、重村先生、山家先生、佐々木助手と僕が参加した。

今年のワークショップ課題は、台北の中心市街地に残る日本式住宅地区(上写真:筆者撮)の再開発である。台湾は20世紀の前半、日本によって統治されていた。現中華民国総統府(旧台湾総督府)の建物などは、日本が建てたことがよく知られているが、当時の日本式住宅もまだ少なからず残っており、台北市は、それらを史蹟として改修保存しようとしているのである。今回のワークショップは、そうした住宅が集まる区画を、保存改修などを含めてどのように活用するかを計画させるものだった。

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台北は19世紀末頃にできてきた新しい都市だが、その骨格は日本統治時代に形成されたという。街を歩くと、とくに旧市街では、1階をセットバックした建物が連なる(写真:筆者撮)。「騎楼」とよぶそうで、元は中国人(福建)が東南アジア全般へ広めたという話だが、当時の日本統治政府は、そうした伝統的な建築言語を都市計画に取り入れたというから、ちょっと驚いた。総督府のような洋風様式建築を建てながら、日本式住宅も建て、かつ土着の「騎楼」型都市建築をも組み込むというのは、近代的都市計画からみると脈絡がないようにも思えるが、必要な場面で必要な形式を配するという点ではとても実際的で柔軟な姿勢といえる。実際、今回の滞在中は、台湾で多数の死者が出た台風に直撃されたが、大雨のなかでも「騎楼」のおかげで町中をなんとか移動することができた。亜熱帯の気候にはまさにうってつけである。

敷地周辺は、まさにこうした多様な建築言語が混在している。学生6グループの提案には、縁側や騎楼に着目した提案も見られ、興味深い内容のものもあった(詳細は神奈川大学建築学科HPに掲載予定)。思えば横浜も、台北と同じような時期に成立してきた都市であるが、アジアの近代都市を考えるうえで、とても勉強になった。僕にとっては初めての台湾であり台北であったが、騎楼がつくる通りの夜市には人があふれとても活気がある。新市街では一転して東京のお台場のような新しい街ができ、超高層ビル台北101がそびえる。また人々の振るまいも日本人に近い穏やかさを感じたし(中国とは全然違う印象で正直驚いた)、食べ物もすばらしく美味しい。とても楽しく居心地がよい街だった。
なによりも、ワークショップの成功にご尽力いただいた、今回のホスト校であった国立台湾科技大学の先生方には、深く感謝したい。なお来年は、神奈川大学で開催の予定である。(N)
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# by nodesignblog | 2009-09-13 20:03

千葉学、「建築と日常」、香山壽夫

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今週は僕としてはめずらしく、パーティーにふたつも行ってきた。ふたつは互いに無関係なパーティーだったのだが、奇しくもある共通人物がいて、それに興味をもった。

9月2日は、千葉学さんの学会賞受賞記念パーティーが六本木の国際文化会館で行われた(右写真:筆者撮)。千葉さんには何年か前に前任校の非常勤講師で2年間来ていただいたが、そのころに計画されていた、「日本盲導犬総合センター」がめでたく受賞となったわけである。小さな建物が集合し、屋根付きのうねった通路がそれらを結んでいる。千葉さんの建物は、槇文彦さんも祝辞で「切れのいいスクール・オブ・トウフ(ちなみに反対はスクール・オブ・パスタらしい)」と喩えていたが、いつもやや硬質な感じというか、かっちりしすぎている印象があるが、この建物は、犬というデリケートな動物を扱うからか、あるいは富士山の絶景(敷地はあのオウム真理教富士山総本部跡地とのこと・・・)への配慮からか、とても柔らかい印象の建物になっているように思え、素直によい建物だと思った。

ところで、意外に感じる人もいるかもしれないが、千葉さんは東大の香山研究室出身である。ということで、香山壽夫さんが祝辞を述べられた。実は2つのパーティーの共通人物とはこの香山さんである。建築家としての香山さんというと、古典的モチーフや対称軸を使った、大文字なデザインの印象が強い。またその研究は、H.H.リチャードソン研究が有名だが、アメリカの新古典主義建築を題材にした形態構造分析に関するものである。実は、僕がいた坂本研究室で構成論を構想しているときには、香山さんの研究は重要な既往研究として、参照対象であり批判対象であった。こちらのスタンスは、常にそうした幾何学的な形式論からの距離をはかるようなところにあったともいえる。そのような意味で、仮想敵というと大げさだが、批判的に意識しつつ、一方では建築の形式論という関心を共有する同志?のような印象を、一方的に抱いていた感じもある。

千葉さんの会での祝辞では、槇さんの名祝辞との差をつけるためもあったと思うが、そうした形式研究者の香山さんらしく、千葉さんの建物の幾何学的な方法について語られていた。しかし上でも述べたように、この建物はたしかに構成は幾何学的なところもあるが、ひとつひとつのシーンや場所があつまった、もっとゆるい領域のようなやさしいデザインがみられる。これまで香山研関係では、たとえば小林克弘さんのように、幾何学的な形式を標榜するようなイメージが強烈だったせいか、千葉さんの、とくに盲導犬センターで前面に出てきた、こうしたやさしい感じは、あまりつながりを感じない印象があった。
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千葉さんと香山さんってどういう風に結びつけられるのかなあと思っていたのだが、その答えにつながるヒントを与えてくれたのが、9月4日に刊行記念パーティーがあった、編集者の長島明夫さんによる「建築と日常」という新しい雑誌(当人は個人誌といっている)である。長島さんとは、彼がエクスナレッジにいたころ、「住宅70年代・狂い咲き」とか「ザ・藤森照信」、「住宅デザインの教科書」といった本に協力したつながりである。退職後、雑誌を出すと聞いていたが、本当に出したのである。このご時世に、自ら雑誌(個人誌)を刊行するとは、たいへんな偉業であると、香山さんが祝辞を述べていたが、このNo.0号に、長島さんによる、香山さんへの興味深いインタヴューが載っているのである。その内容は、ぜひ本で実際に読んでほしいので、詳しくは触れないが、ヴェンチューリやアレグザンダーについての興味深い話や、形式研究の根底にある香山さんの考え方がとても面白い。宗教や共同体、持続性の話など、どれも千葉さんの盲導犬総合センターのあり得べき姿とも重なるようでもある。とまでいうと言いすぎかもしれないが、千葉さんの感性には、こうした香山さんの思想の影響が大きくあり、それは形式研究のバックボーンとしての香山研究室の良き遺伝子なのだと、勝手に確信した。

ところで、「建築と日常」には、僕も設計に関わったTokyo Tech Frontについての坂本一成さんのインタヴューも載っている。坂本さんのスケールの話もとても興味深く、香山さんの話と比較して読むと、両者の共通点と相違点が面白い。だいたい香山さんと坂本さんとを2本柱にして並べて本にしようという長島さんの試みが大胆すぎて面白い。「建築と日常」、ぜひ買って読んで欲しい。(N)
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# by nodesignblog | 2009-09-05 21:14

江古田Kスタジオ / 鈴木アトリエ

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先週の土曜日に、神奈川大学の授業で講師をお願いしている鈴木信弘さんが設計された「江古田KスタジオQUIET BRANCH」を見学させていただいた(右写真:鈴木アトリエHPより。http://www008.upp.so-net.ne.jp/atelier555/)。スタジオ付き住居と、2つの賃貸ルームから成る建物である。駅から歩いて数分の商店街の、やや奧に長い30坪弱の角地に建つ鉄筋コンクリート3階の建物である。まず道に面した壁面仕上げが眼につく。適度な肌理の凹凸のあるテクスチャが不思議で、聞くと木毛セメント板を打込みとのこと。フェルトポケットによる壁面緑化を行う予定らしく、木毛セメント板は断熱と保水性をもつ下地だそうだが、このままの仕上げでもなかなか面白い。

建物は、道路側と奧の2棟に分かれる。道路側の駐車スペースの上に賃貸2戸が積まれ、奧は4層のスタジオ付住居となっている。駐車スペース奧にスタジオ(地階)の入口があり、入ると天井の高い打放しのワンルーム空間が現れた。部屋の奧=南側に螺旋階段と吹抜けがあり、光が上から降り注いでいる。この上に、DK、BR、水廻りの3室が縦に積まれている。南の吹抜けがスタジオ、DK、BRの3室を空間としてひとつにまとめ、トップライトからの日差しを各室へ届けている。3階の水廻りは、今後緑化されるはずの屋上テラスへ出られる開放的な空間である。2階のBRから外部踊り場へ出て賃貸室へ移ると、いきなり部屋の中央にアイランド型のキッチンカウンターが置かれた部屋に入る。部屋といっても、20㎡あまりに過ぎないスペースを合板張りの薄い間仕切りで四つに区切った、こぢんまりとしたパーソナルな場所がつくられている。窓際の一区画は広いバスルームになっており、FRP防水の真白な空間である。

鈴木さんの作品を実見するのは、昨年の「虹ヶ丘の家」以来2つ目だが、他の作品も写真では拝見している。これまで木造の、様々な木の表情を活かした丁寧な設計の印象が強かったが、今回の建物では、シンプルでドライなRCの仕上げが、かえって全体を引き締めている感じがした。強いていえばだが、奧に建てられたオーナーハウスの開放性と、手前の賃貸部分と奧のオーナーハウスとの分節の曖昧さが気になった。前者の開放性については、オーナーハウスの各部屋には外が見える開口が3階を除いてほとんどなく、RCの壁に取り囲まれている感じで少々圧迫感があった。たとえば南側は吹抜けではなく、吹抜けの幅+αを、狭くてもよいから完全に外部の庭として、開口部を設けてもよかったようにも思える(隣接建物との目隠しは必要かもしれないがコンクリの壁にしなくてもよいように思える)。また後者については、手前と奧の2棟は、もう少し明確に分かれていてもよかったようにも思える。とくに2階賃貸の水廻りがはみ出して奧の建物に接している部分などが無く、狭くてもよいので2棟間の中庭状の外部になっていれば、オーナーハウスの開口部もより多く設けられ、開放感が増したのではないだろうか。

だが、そうしたことはともかく、僕が最も興味をもったのは、手前と奧に分棟とした配置のアイデアである。建物のプログラムは、一言でいえばいわゆるオーナーハウス付アパートという、ごくありふれたもので、通常は下にアパート、上階にペントハウス住宅とするのが定着したパターンである(その代表例は山本理顕のハムレットやガゼボであろう)。しかし今回の建物は、そういう縦積み型ではなく、敷地の手前と奧に、横並びに分棟とする新しい方法を取っている。考えてみれば、日本の都市の敷地割は間口が狭く奧に深いタイプが多く、手間と奧ではその環境が大きく異なる。街との一体感をつくり出しやすい手前に対して、奧は道路から離れた落ち着いた環境をつくることができる。この建物には、ありがちなオーナーハウス付アパートというプログラムを、そうした一般的な敷地の特徴を活かして解決する可能性を感じることができた。それは、もしかしたら、日本のいたるところに存在する近隣商業地独特の、新たな都市建築モデルになり得るアイデアではないかと感じた。(N)
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# by nodesignblog | 2009-07-20 19:54

葵の上、熊野

e0105010_24233.jpg(撮影:米井美由紀)

ゴールデンウィークなのでだいぶん前なのですが、
鳥取市鹿野町にある「鳥の劇場」での公演の様子を紹介します。

上演されたのは、三島由紀夫の現代能楽集から「熊野」と「葵の上」。
上の写真はアフタートークの様子。上演後には、演出した中島さんとお客さんが
いっしょに話をします。

「私、”葵の上”を観るのは2回目なんですけど、前回別の場所でやったときと演出が
違ったのはなぜですか。」とか「三島のテキストの美しさが出ていた。」とか、次々と会話が
進みます。鳥の劇場ではレパートリー公演も含めて年に4,5回は公演があります。
近くに住んでいたら、いつでも質の高いお芝居を観ることができて、演出が違えばその違い
についてたずねることができます。みな熱心。

e0105010_2515889.jpg(撮影:米井美由紀)

葵の上より
光源氏の正妻、葵の上を恨み殺そうとする源氏の愛人、六条御息所を題材にした現代劇。
愛人の六条康子を演じるのが男性で驚きました。確かに力強くて雄々しい女性ですが、
持っている念のタイプは「女性」だなあと。女性バージョンも観てみたいところです。

写真は、かつて、ともに過ごすため、光と康子がヨットに乗り湖上の別荘へ向かうシーンの回想。
”こんなに楽しかったじゃない、私を捨てないで”と光にすがる康子。
康子の思いは生き霊となって、光の妻あおいをのろいで殺してしまいます。
汗とつばを飛び散らせてすごい迫力。


e0105010_2531640.jpg(撮影:米井美由紀)

熊野より

平家物語の、平宗盛と妾の熊野(ゆや)のやりとりを現代風に。

実業家の宗盛と愛人熊野は、同じ空間にいながら全く違う価値観で会話をしています。
熊野は感情で生きているような女性で、病気の母を思って(実は嘘ですが)うちひしがれ
ていて、宗盛は人の感情を歯牙にもかけない。それよりも哀しそうにしている熊野の
美しさの方が重要なのです。
哀しんでいる美しい熊野を連れて、今年一番の桜を見物へ行きたい宗盛と、一刻も早く
母の元へ行きたい熊野との不思議なコミュニケーションです。

シリキレですが遅いのでまた後ほど。
(O)
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# by nodesignblog | 2009-07-01 03:03

隈研吾(と、少し藤森照信)(続・エコノミック・コレクトネス論) その2

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「軽い」,「弱い」,「乾いた」など、建築家は様々な言葉でよくイメージを語るが、実はその内容はあまり重要ではない。重要なのは、むしろそういう比喩が、建築の物質性や形式性の革新のためのものなのか,あるいはあくまでも建築の意味を問うためのものなのかによって、建築家の思考も作品の様相が大きく異なってくることではないだろうか。後者の「意味」を問う人たちは、往々にして「建築らしい形式」をある程度ひきうけつつ意味を変えようとする。それがなくなると、建築がファッションになったり、根無し草になってしまうことを警戒するからだ。一方、物質や形式の革新へ向かう人たちは,そういう「建築らしい形式」を超えること(いわゆる近代の枠組みとされる)こそが新たな(現代の)建築へ繋がると考えている。実はその背景には、時代精神的なものを仮定し,それに対応する表現を目指す発想が潜んでいるように思える。

隈さんの「消す」という表現が物語る独特な性格は、認識としては上記の両方を理解しつつも、方法としてはどちらのスタンスも選ばない、ある意味でニヒルな姿勢である。別の言い方をすれば、隈さんしてみれば、どちらも空間の枠組み(架構や平面)の形式にこだわる時点で同じ穴の狢であり、そこにこだわることに関心がないか、そんなことは近代の方法論を運用すればよい、とでも言いたげなのである(このあたり、余談だが藤森照信のスタンスも実はよく似ている、あるいは藤森さんは、より輪をかけてニヒルともいえる)。しかしそうしたニヒルさの一方で、徹底して建物の「見えがかり」、もう少し正確には,建築と周囲との「見えがかり」には、とことんこだわる。その見えがかりのゴールイメージが「建築を消す」ことであり、そのために、建築の物質的な問題も意味の問題も、なんでもあり式に駆使されるのではなかろうか。

もうひとつ、隈研吾という建築家としての存在の興味深い点は、その驚くべき文脈力である。住宅,都市,歴史,社会,経済,政治,和風,サイバー,エコロジー,職人芸,海外など,どんな話題のときにも,ふとみると隈さんがいる。現代社会の様相に対するどこまでも貪欲な接触は,上で書いた現代の「時代精神」をつきとめようとする欲求かもしれない。独特なのは、普通そういう欲求を共有している建築家の多くは、つい近代建築を乗り越えるなどと言いはじめ、そのとたんに構造とか平面とかといった「近代建築的」概念と葛藤し始めるわけだが、残念ながら世の中の人々の多くは、そのようなことにはほとんど関心はない。そこが大衆と専門家の断絶の根ともいえ、そこに終始しても建築が閉じこもるだけであり、実はこの構図こそ既に近代建築やポストモダン建築が陥った事態ではなかったか?と、隈さん自身が考えたかどうか知らないが、はもはやそんな枠組みはすっとばして,一直線にモノ自体の「見えがかり」へと接続するのである(こうしたスタンスも、現れ方は大きく違えども,やはり藤森照信とかなり近いことに改めて気づかされる)。
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このようにして隈さんは、現代社会で話題とされる様々な文脈と接続しつつ、形式ばった構造もプランの問題もすっ飛ばして、建築の「見えがかり」に直結する。それは、スキャンダルとヴィジュアルにダイレクトに訴え、そのわかりやすさはまさに現代的である。ある意味では、これまでの建築家たちの、どのようなエゴイスティックな表現からも距離を置いている、ように見える。しかし、少し結論を先取りして書くならば、隈さんや藤森さんのそういうスタンスも、結局のところ、現代の時代精神を仮定しつつ、建築の形式性そのものを否定する時点で、かえって狭い世界に囚われているようにも思えなくもない、のは僕だけだろうか?(これについてはまた次回)。(つづく)(上写真=森舞台/宮城県登米町伝統芸能伝承館:uratti.web.fc2.comより、下写真=タンポポハウス:tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jpより)(N)
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# by nodesignblog | 2009-06-15 00:00