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夏の邸宅

舟越桂作品展 夏の邸宅

「すごくよかった」と、ある女性に勧められ渡されたパンフレットを見ると、以前見たストイックな印象とは全く違う作品の写真。とはいっても写真なので、少し作風が変わったのかなくらいの気持ちで出かけたら、圧倒されてしまいました。

美術館を入って、まず目に入るのが「森に浮くスフィンクス」。エントランスホールに一体だけ、4本の木の枝に胴体を支えられた、高いところから見下ろすような背の高い作品。「遠い手のスフィンクス」は左手が義手のような異形。近作のスフィンクスシリーズとよばれる両性具有の彫刻は、ダビデ像のようなたくましい男性の身体に大きくて綺麗な女性の胸、皮で作った長い耳をもつ一連の彫刻です。異形、非対称の身体、焦点の定まらない瞳、、で、なんともいえないおさまりの悪さがあります。それが返ってこちらの身体に作用するというか、、、。

「私の中の緑の湖」は鮮やかな緑色のグラデーションで彩色された作品。「言葉をつかむ手」は一際美しい顔をもつ女性の彫刻で、バスルームに一体だけ置かれています。この部屋だけ自然光が入り、淡い緑の大理石と白い陶器の質感とあいまって優しい雰囲気を作っていました。「戦争を見るスフィンクスⅡ」は、唯一はっきりとした表情があり、般若のような怒りと、憂いのある表情は一度見たら忘れられません。

場所は、庭園美術館です。何も装飾のない場所におかれていたら、彫刻の存在感が大きすぎて違った印象だったかもしれません。大理石や厚みのある無垢の木材、ブロンズのグリルなどの本物の材料と濃厚な色合いのインテリアが、彫刻と観る人との間の緩衝帯になってかろうじてリアリティが保てるような(リアリティが作られているような?)、空間と一体となった作品展でした。(O)
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by nodesignblog | 2008-09-16 04:47

黄金スタジオby曽我部研究室+マチデザイン

e0105010_2502538.jpg大学でお世話になっている曽我部昌史さんに招待状をいただいたので,9月11日に横浜市のアートイベント「黄金町バザール」のオープニングへ行ってきた。神奈川大学の曽我部研究室とマチデザインの丸山美紀さんが,会場のひとつである「黄金スタジオ」を設計したのである(SDレビュー入賞)。黄金町周辺といえば,あの黒澤の「天国と地獄」でも,犯人の山崎努がうろつくやばい町として出てきた程で,つい最近までたいへん荒れた風俗街であった。それを地元住民と横浜市,神奈川県警が協力して,ここ数年かけて違法な風俗店をようやく一掃した。
挨拶した中田宏横浜市長(右写真(横浜市HPより)。まだ43歳!)の話では,ここに至るまでにもたいへんな苦労があったようだが,さて,これからの街をどうするのか,ということで,アートを新しい街の核にしようというのである。なかなか野心的な試みである。

高架上の京急黄金町駅から地上に降りると,その高架下の空間は,占拠されるのを恐れているのか延々と高い仮囲いで覆われている。黄金スタジオは木造片流れ屋根の平屋建築で,その仮囲いに割り込むかたちで,8スパン分の空間を占める(右写真(公式HPより))。内部の面積は300平米くらいか。表側?は道路を挟んで大岡川に面している。この川は幅も水面の高さもほどよいスケールで,街の風景の核となるポテンシャルを感じた。春は桜がきれいらしい。高い壁面をステンレスに覆われたスタジオは,1スパンごとに大きな出窓を川へ向けていて,内部の活動を見せる川沿いのショウウィンドウになっている。e0105010_25738100.jpg
当日はしまっていたがステンレスの壁の一部は開口になっているようでもあった。裏にまわると,片流れ屋根の低い側がガラス框戸の開口面で路地から自由に入れるようになっている。中は建物の端から端まで土間になっていて,その奥にアーティストのスペースが昔の商家の「ひろま」のようなかたちで一段高く面している。プランもつくり方もいたっておおらか?だが,まあそのくらいがこの場所にはちょうど合っているかもしれない。建物の両面をインターフェースの質を変えつつ,どちらも表として取り扱う意識は,この場所の読み取り方としては至極まっとうで好感が持てた(この点,鉄骨フレームとガラスで(この種の建物としては)丁寧に構成し,中二階にデッキを這わせ,正統的な建築をやっている飯田善彦氏による日ノ出スタジオとは対照的で面白かった)。しいて難癖をつけるとすれば,土間が道路面から段差があってあまり気軽に入れない感じがしたこと,それと,内部の幅が少し浅くなってもいいから,できれば軒を出して,路地から内部,そして反対側の道までもう少しスムースにアクセスできるといいと思った。あとは,今後できるなら,仮囲いを侵食してどんどん長くしていければ面白いだろう。

曽我部さんの建築は,自邸も以前みせてもらったが,どう考えればいいのか,なかなか手ごわい。建物が建物だけで読みとられるのを望んでいない感じというか。もちろん現実の目的なしに建築行為は始まらないわけで,曽我部さんの建物がもっている,現実や要求に対する素直さには共感できるし,その素直な対応は曽我部さんの建築に対するリアリズムの現れだと思うのだが,では,建物がそこでの活動や出来事のノンフィクション,あるいはドキュメンテーションなのかというと,それほどの重さを建築に期待していないようなそぶりも感じる(もちろん最近多いフィクショナルでキャッチーな構成による表情とは全く異なる)。むしろ,そういう真のリアルさは,そこでの人々の活動としてこそ現れ出るべきであって,建築というのはその背景でよいと考えているのかもしれない。もしそうなら,その考えには賛成できるのだが,一方で,かつてジャッドなどのミニマルアートが,ある意味では作品を背景にして観客を対象にしてしまうという転回をやったときに,それはリテラル=自明的でシアトリカル=演劇的であり,作品にはそれ自体で作品となるべき「自律性(形式性?)」が必要なのだ,という批評があったのをふと思い出した。樹木や太陽の動きなどには,人間とは関係のない独自の原理が存在している。建物が本当に人々の生活のリアルな背景になるためには,逆説的だが,そういうものに似たある種の独自な「自律性」も少しは必要なのかもしれないとも思った。といってもその自律性をどこに求めるべきか。様々な事象をひっくるめて自律性が成り立つか成り立たないか,ぎりぎりのところを曽我部さんは探っているのかもしれない。(N)
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by nodesignblog | 2008-09-16 02:40

鳥の演劇祭

以前に紹介した、鳥取で活動する劇団"鳥の劇場"が9月13日から演劇祭を行っています。その名も「鳥の演劇祭」。

鳥取で活動を始めて2年くらいだと思いますが、さっそく県や町の方も巻き込んでの演劇祭です。さすがの実行力。

県外からの反応は意外と多いそうですが、地元の方にももっと来て欲しい!とのことです。
間近で良質なお芝居を観られるチャンスです。お近くの方もそうでない方も、是非一度足を運んでみてください。
(O)


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by nodesignblog | 2008-09-16 01:47