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1月29日

東工大田町キャンパスで開催される講演会で話します。
「地域・コミュニティの活性化」がテーマの講演会で、2人講演するうちの1人です。

「建築によるコミュニティの活性化」という演題(汗)。
鳥取でお手伝いした仕事を含めて作品紹介します。
18:30から、30分くらい。
ご都合のつく方はご連絡ください。
(お)
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by nodesignblog | 2008-01-28 15:56

自家製○○

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先日打合せで高知へ。
写真は高知名物(と銘打ってあるお店の)屋台餃子。何個でもいけます。

高知でも少し珍しいカツオの塩タタキも載せたかったのですが、写真をとりわすれました。高知市内の「座くろ」というお店です。塩タタキのお店は他にも数件あるそうです。座くろには、若いオーナーシェフ(?)の作った自家製の濃い醤油があって、それが甘くておいしいのです。醤油を味わうために冷奴を注文する感じです。是非試してみてください。

案内してもらったN村さんによれば、千葉の銚子のほうでは、自宅で醤油を作る文化が残っていて、醤油を絞ることが職業として今でも成立っているそうです。
うちは自宅で祖母が生前味噌を作っていました。作った味噌は大きな甕に入れて床下で寝かせます。当時は珍しいことではなかったと思いますが、6人家族の1年分ですから量が多い。直径80センチ、高さ1mはあろうかというくらいの甕が3つも4つも。祖母にとっては、味噌は買うものではなくて作るものだったようです。楽しみで少し作るということではなかったですから。1年間味噌をたやさない!という責任といいますか。どこからその意志は来るんでしょうか・・・。

そういえば、先日実家で15年もの位の自家製梅酒を飲みました。祖母が作って例によって床下へ入れて、その後亡くなってしまったので誰も気付かず、引越しで家を壊す際に、荷物の整理をしていたら出てきたと。梅ジュースもあって。おいしかったです。
ありがと、おばあちゃん!(と言わずにいられない。)

季節が来たら梅をつけて、トマトができたらこれもまた大量にトマトジュースをつくり、今度は大量の大豆を煮て味噌を作り、お正月前にはおもちをつき(これは機械でしたが)、、そういう生活が少なくとも高校のときまでは身近だったのですが、全く受け継いでません・・・。
(お)
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by nodesignblog | 2008-01-25 18:10

ホスピタリティ

先日、あるまちづくりの講演会に行ってきました。
何度か行ったことのある小さな町です。

講演会は盛況で用意してある椅子は満席。主催者もにこやかで、他の市町村から参加している方も大勢いて、「この町のファンです」とおっしゃる方が多い。
町で2年に1回開催されるお祭があります。お祭のある2日間は、通りに面した自宅の客間(?)を開放して、料理を並べ、誰でも入って行って食事が出来るという、歓待の極みみたいなお祭だそうです。なので、家の新築・改築の際もそのお祭にあわせて、通りに面して大きく開ける広間を設けるのだそうです。

最近読んだ、「『聴く』ことの力-臨床哲学試論」(鷲田清一著)に、客を迎えることについて書いてあるところがあります。「客を家に迎えるということは、主人である自分の立場を相手に譲ること」というようなことがあります。

ずいぶん前に知り合いの医師からきいた、「『逆』という漢字の意味に『(客を)迎える』という意味がある」というお話を思い出しました。そのとき、なぜそういう意味があるのかまで話が至りませんでしたが、もしかしたらそういうことかと。先の本に倣って、客人を迎えるということは、主人である自分の立場を迎え入れた客へ譲ること、立場が逆転するということ、それがホスピタリティ(歓待)の精神である(文中で、ホスピタリティは「歓待」と訳せると書かれています〉、と考えるとかなり腑に落ちます。少なくとも「旅館」が「逆旅人家」と書かれた南宋の時代には、そういう精神があったということでしょうか。医師にはまだお話してませんが。

決して派手ではありませんが、地道に少しづつ、まちづくりがなされてきたことが伺えます。近くの市町村から、山ひとつ隔てた「僻地」であることが独自性を維持できてよかったともいわれていましたが、もしかして、ここには伝統的にホスピタリティ(歓待)の精神が強いのではないかな、と感じました。

また、同著「『待つ』ということ」に、「待つ」ことについて書いてあるのですが...。
「何かの到来を待つといういとなみは、結局、待つものが待つことを放棄したところからしかはじまらない。待つことを放棄することがそれでも待つことにつながるのは、そこに未知の事態へのなんらかの開けがあるからである。・・・・・・何が到来するのかわからないままに、何かが到来しているということじたいにきづくこともなく、それでも何かの到来を迎え入れる用意があることも〈ホスピタリティ(歓待)〉となづけることも可能であるかもしれない」とあります。(「待つことを放棄」というところは誤解をうむかもしれませんが、説明しきれません。すみません。)

こころを開放して、あせらずゆっくりなされてきたひとつひとつの行いが、ふりかえればまちづくりになっていて、他の都市からも視察がくるような成功例のひとつになっているのでは、と思いました。

傍から見ていての無責任な感想です。
渦中では、ご苦労もたくさんあると思いますので、、、。

それにしても、鷲田清一の上の二つの本は、知人曰く「地味に攻撃力が強い」内容です。「悩みながら書いた」とあとがきにあるように少し読み進みにくいところもあって少しクセもありますが、おもしろいと思いますよ。
(お)
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by nodesignblog | 2008-01-25 15:22

あけましておめでとうございます

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旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
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by nodesignblog | 2008-01-05 09:07