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ハルビン

e0105010_12404462.jpg神奈川大学が参加している、毎年夏恒例の日中韓台共同の「東アジア建築都市学術交流ワークショップ」、今年は中国の哈爾浜工業大学(HIT)がホスト校となって行われた。ということで初めて哈爾浜へ行ってきた。

新潟空港から直行便で約1時間半、中国最北の黒竜江省に位置する哈爾浜は、19世紀末に、ロシアがチタから清国を横断して東端のウラジオストクまで、いわゆる「東清鉄道」をひくために建設した比較的新しい街で、都市としての歴史は100年ちょっとしかない。ちなみにこの東清鉄道の全長は約2,000㎞で、青森―博多間とほぼ同じ長さなのだが、ロシアはこれに加えて哈爾浜―大連間の支線約800kmも含めて、わずか5年程で完成させたというから驚きである。鉄道をひくには土木技術者が必要だし、駅舎や車両施設などには建築技術者が、また機関車をつくるには機械技術者や電気技術者が必要である、ということで、それらの養成のためにつくられたのがHITだという(だから当初の大学教育はすべてロシア語)。HITは、とにかく巨大な大学である。創立時からの歴史をもつ建築学部は4学科を擁し約800人(だったかな?)が働く設計院も持つ大きな組織だ。

哈爾浜の街はきわめて興味深い。まず歴史的な建物や街がしっかり生きている。1920年代までロシア管轄下にあった、松花江沿いの道里区や南の丘陵地である南崗区(HITはここにある)には、西洋風の様式建築や、世紀末アールヌーボー風の建物が立ち並び、あまり中国という感じがしない。また道里区の東、清代の役所跡も残る道外区には、チャイニーズ・バロックと呼ばれる、いわば擬洋風のようなユニークな中庭建築群(右上写真)が立ち並んでいる。とにかく驚くのは、およそ100年前の古い建物を、たいへんうまく使い、それだけでなく街並みの保存を意識的に行っていることである。日本の都市も見習うべき点が多くあるように感じた。

e0105010_12411567.jpg次に、人々がしっかり街中に住んでいることが伝わってくる。古い建物だけでなく、それ以外のごくありふれた街中の建物の多くも、いわゆる下駄ばきアパートであり、低層部には店舗だけでなく職人の工房なども入っていて活気がある。また、目抜通りである中央大街に行ったところ、平日の夕刻にも関わらず、大勢の人々が松花江に向かって続々と押し寄せてくる。川沿いにはちょうど横浜の山下公園のような長い緑地があるのだが、驚いたことにそこから川へ、階段で直接入れるのである。多くの人たちが足を水につけたり、中には思い切り泳いでいる人もいた(右写真)。こうした水辺環境の使い方なども見習うべき点は多い。

一方郊外には、もう文字通り「雨後の筍」のように、高層マンションがボンボン建てられ続けている。HITの先生らはこれらを「コミュニティ」と呼んでいるのが印象的であったが、日本的にいえば「団地」ということだろう。30階を超えるような高さがありながら異様に奥行きが薄い、日本ではありえないプロポーションのタワー群が、凄まじい量と速度で建てられている。松花江の遊覧船からは、見渡す限りの遠くの方までそうした「コミュニティ」が果てしなく続いていた(下写真)。HITの先生に聞くと、人はどんどん都市部に集まっているから需要は十分あるし、5年も持っていれば価格は倍になるから投資目的もある、などと平然と説明してくれた。HIT准教授である余さんの案内で、松花江の対岸地区に林立(乱立?)する「コミュニティ」を見学。そのなかの「Mediterranean Sunshine」と名付けられた地中海風?のいわゆるゲイテッド・コミュニティ(ちなみに哈爾浜に海はないけど)に入り込み、コテコテのアンティーク調内装のモデルルームを見た(中国ではスケルトン渡しで、内装は別途が普通である)。値段を聞くと、内装代も含めて約100㎡で約4,000万円程度のようだ。哈爾浜中心部まで車で15分程度か。たぶん中国の物価からしたかなり高価だろうが、ちょうど家族連れが見学に来ていたから、それなりに人気があるらしい。そのとなりにはオランダ風のコミュニティがあり風車まで建っている。e0105010_12385079.jpgこれらに比べれば日本の郊外のキッチュな集住団地なんて慎ましいものに見えてくる。これらの夥しい数の「コミュニティ」建築の質は、はっきり言ってどうしようもないものばかりであるが、余さんによれば、最近は買い手の関心も変化してきて、こういう見た目のスタイルよりも建物のクオリティを重視する傾向にあるそうだ。また、こうしたコミュニティ群の間には、緑地帯や公園が挿入されているのだが、俞孔堅(Yu Kongjian)設計の「群力国家城市湿地」(右写真)や余さんによる「群力公園・金河公園」はなかなか素晴らしいランドスケープだった。

今回は、旧市街に蓄積された歴史遺産や自然を活かしつつ、同時にとてつもない速度で郊外へと膨張していく、哈爾浜のグローカルな両側面を体感できた。そうしたなかで、もうひとつ印象的だったのは、良し悪しはともかくとして、いずれの局面においても、建築や都市計画などが、人々の生きる環境をつくりだしている、つくりだせるという社会の雰囲気を感じたことだった。それは街中に林立するクレーンや、HITの巨大な設計院を見たからかもしれないが、でもそれだけでもない気もする。旧市街地での歴史的建造物活用や、ランドスケープにおける環境資源への意識などは、すべてではないにせよ、日本の都市よりも高いものがあるようにすら感じた。重要なのは、そうした空間資源を活かす視点とその実践だと思うし、参考にすべき点は多いと感じた。ともあれ、ホスト校であったHITの先生方、スタッフ諸氏に深く感謝したい。ワークショップの内容についてはまた別の機会に。(N)
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by NODESIGNblog | 2013-08-23 11:50 | 見聞

絶対スケール空間 補章

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エクスナレッジからHOME特別編集「住宅デザインの教科書」という本が出た。教科書などと銘打っているが,中身は意外にソフトなもので,塚本由晴さんや西沢立衛さん,隈研吾さん,北山恒さん,堀部安嗣さんなどの現代建築家のインタヴューや,きれいな大判の作品写真が主である。でもそういうミーハー?な部分だけでなく,後半には少し教科書っぽい部分もあって,八束はじめさんや藤森照信さん,富永譲さんなどによる,近代あるいはそれ以前の住宅建築についての紹介や興味深い考察も載っている。実は僕もそこに「50年代小住宅への新たな視点――絶対スケール空間という仮説」という小論を寄せており,日本の住宅デザイン黄金期といわれる50年代について書いている。内容については同書を読んでもらいたいのだが,そこでは書ききれなかったこともあるので,ここで補章として記しておくことにする。

今回僕が書きたかったのは,「絶対スケール空間」という言葉に尽きる。要するに空間の「スケール論」である。僕の勝手な枠組みとしては,「定位論」(「住宅70年代狂い咲き」),「ラウム論」(「ザ・藤森照信」)に続く,空間文化論の第三弾と位置づけている。ここでの「スケール」とは,相対比である「プロポーション」という意味も含まれてはいるが,むしろ人間尺度との関係による絶対的な寸法「サイズ」に近い。またそれは,オーダーの比例関係のような古典主義的なものでなく,あくまでも空間のそれとして考えている。スケールの問題を論じようと思うと,現代では,もはや空間概念抜きには成し得ないのである。というのも,そもそも近代主義の成果のひとつは,スケールをオーダー的なものから空間的なものへと移し変えることで,空間を建築の固有言語としたことにあって,それを通過してしまうと,そう簡単には引き返せないのである。そのあたりの話は,長くなるのでまた別の機会に触れたい。

要するに結論的には,「空間」概念の発見は,建築の固有性への指向の成果として,モダニズムから現代が受け継いでもよい最重要の遺産だと思う。そして,ここでより重要なのは,その空間を抽象的な概念から具体的な現実へと引きつけるうえで,おそらくは50年代の建築家たちによって「スケール」が再発見されたともいえそうなことである。そもそも「空間」といったところで,極めて抽象的だから,ほとんど意味を成さないわけだが,それを「寸法」として理解するという考えは,至極あたりまえのようでありながら,実は大発見であることに気づくべきである。こうした視点を持ちえたのは,世界の建築家を見渡しても,とても少なかった。詳しくは長くなるのでこれもまた別の機会に論じたいが,ともかく日本についてみても,あまり理解されていないことだが,そうした空間についての理解を成しえた建築家は,現代に至るまでとても少ないのである。同書の本文で触れた50年代の建築家のうち,丹下,清家,吉村,吉阪は理解,もしくは直感していたはずだが,なにぶん明確な論を残していないのでわからない。彼らに対して,たとえば池辺陽は厳密な技術的モデュール論は書いたが,空間概念への意識はおそらく希薄であったし,たぶん他の多くの建築家たちの空間概念への意識も,同様に希薄であっただろう。その背景には,戦前の建築家たちがおぼろげに表現し,そして丹下が定式化したような,素朴で,そしてある意味では前近代的な「空間」という言葉の影響力が感じられる。そのような意味で,丹下自身の文章は,本人の意図はともかく,大きな誤解の種になってしまったように思える。つまりそれは実は,あんまり「空間」ではない空間だったのだ。近代が発見した「空間」を当時からかなり理解していた可能性があったのは,丹下の先輩の立原道造だったのだが,残念なことに若くして亡くなってしまった。立原が生きていたら,日本の現代建築の空間概念は相当異なっていたかもしれない。

結局,空間を建築の固有性において理解し,スケール問題を意識的に相対化できていたのは,たぶん60年代末の磯崎新までいなかったように思える。磯崎は丹下が言葉にしなかった部分をかなり裏返した言い回しながら,言葉にしている。その点で僕の見方では,磯崎はポストモダニストどころか,だれよりもモダニストであるし,文化についての倫理的,原理主義的な理解者である。僕が感じている日本現代建築の最大の問題のひとつは,当時そして現代でも,日本の建築家や歴史家たち,そしてメディアが,建築をいつまでもヴォキャブラリーのスタイル程度にしか捉えられていないと思われることだ。だから,たとえば磯崎新に対する理解すらも,その範疇にとどまってしまっている。事実,磯崎のフォローアーの多くは,むしろ建築をその外側(宗教や数学やゲームや流通制度など)から解体しようとしたことは象徴的であるし,それらの多くは長続きできなかった。あるいは建築家よりも,ある種の評論活動を伴う歴史家の発言の方が問題だったといえるかもしれない。なぜかはわからないが,日本のメディアでは,歴史家がご意見番のような役回りを演じさせられているフシもある。たとえば歴史家の藤森照信は,建築家を赤派と白派に分類しているが,その分類自体が空間を問題にできていない。八束はじめも書評で指摘しているが,藤森の丹下健三論をみても,その空間に対する関心の希薄さは明らかである。つまり彼自身の作品も含めて,現代日本建築の多くは,ヴォキャブラリー優先の前空間的=前スケール的な様相に属する点で共通しているのである(それらはとっても,「単に」フォトジェニックなのである)。僕は赤派とか白派とかの区別よりも,そういう空間やスケールに対する認識についての違いの方に関心がある。しかし結局,磯崎に続く世代で,空間や文化の問題からスケールについて意識的に理解しようとしたのは,僕の知るなかでは坂本一成ぐらいしか思い当たらない。そしてその後もなかなかいない。たとえば現代作家のなかでも,かなり建築を構成的に捉えているといえそうな青木淳は,青森美術館でその巨大なスケールがもつ意味について述べていたが,彼のスケールには磯崎や坂本が確実にキープするような,ある種の文化との接続が希薄すぎる。そのためゲーム的に見えてしまうように感じる。しかしそれでは構成の図式に舞い戻ってしまうのである。

では,なぜ空間や文化の問題から建築の固有性,スケールの問題について理解しないとまずいのか。それ抜きには,結局建築がヴォキャブラリーや構成図式のスタイルと化してしまうような気がするからである。では建築は所詮スタイルであってはまずいのだろうか?・・・これに答えるには,また長くなるので,別の機会へ譲ることにする(つづく)。(N)
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by nodesignblog | 2008-03-07 01:18 | 見聞