浅草コンペ最終審査

去る12月21日(日)に,台東区役所で浅草文化観光センターのプレゼンテーション&ヒアリングが行われた。すでに台東区のHPに公表されている通り,結果は残念ながら,我々は最優秀作品にも優秀作品にも選ばれなかったが,他6案と比べて明らかに異なった独自の提案をできたこと,それが最終選考まで残るまでには理解されたこと(理解してくれた審査員がいたこと)など,一定の評価を得られたことは大きな収穫だったと思う。

一次通過を聞いたのは11月上旬だったが,今回のコンペは厳正で,応募者は他のプレゼンを見る事も,作品を見る機会すらなかった。
実施に選ばれたのは,屋根型をもつ平屋が積層したような案で,それは,我々がエスキス段階で捨てた案にそっくりだったと学生がいうので,どういう案かと思ってHPを見たら本当にそうだったという,まあ,ある意味皮肉な結果だが,今回のコンペはそういう傾向であったのかと諦めるしかない。

コンペである以上,審査員団の決定がすべてだが,こうなると自分たちの案のよさをアピールできるのは自分たちしかいないので,ちょっと書いておきたい(少しは恨み節も入ってしまうと思うが,お許しを)。
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我々の案は、「スパイラル・ランタン・タワー」と称して、スパイラル状のテラスが、揺らいだような形のランタン・チューブに巻き付いている案だ。雷門前広場や交差点は、まさに浅草観光のへそであり、いつもたくさんの人々で賑わっている。我々はその「人々」をそのまま表現する建物にしたかったのである。浅草は「とおり」の文化が息づく町だ。その「とおり」が、螺旋状にのぼっていく。人々がそのテラスに立ち、いろんな高さから浅草や東京を眺める。祭りやカーニバルの時には観客席にもなる。夜はガラス張りの建物がやわらかく町を照らす。ファサードやヴォキャブラリーに頼らない、「ひと」の活気がそのまま表現された浅草らしいランドマークなのである(テラスは日本の深い庇にも通じるものでもあり、その彫りの深い外観は浅草に合うとも思っているけど)。

他5案も残念ながらまだ見る事ができていないが,話に聞く限りではルーバーや和紙でファサードをデザインしたもの,PCブロックの積み木的な構成,ずれたスキップフロア,ずれたコアの操作など,だいたい想定内の手法のバリエーションのなかから選ばれていたようだ。いずれも構成部材のプロポーションや位置を操作することで,微細な多様性をどうつくるかといった,このところ繰り返されている問題設定のなかでのバリエーションだと思える。

そんななか,我々のヒアリングでの北山恒さんの,「空間構成で勝負しようとしているということだと思うが・・・」というコメントに象徴されるように,我々の案だけは,上に書いたバリエーションのような予定調和的レトリックを外し,雷門前の交差点や浅草というまちに対して,ダイレクトにユニークな「空間」で応答できたと自負している。それが伝わった審査員がいてくれたなら,それは我々にとってだけでなく,日本の建築界にとっての救いだと考えたい。

今回の結果について,ある建築家は,「現代の構図を典型的に示しているようで,かなり腹立たしい」といっていた。僕が勝手に解釈するにその「現代の構図」とは,ひとつには表層や言語的なわかりやすさだけに容易に流されてしまう傾向だと思うが,一方では,結局そういう状況を助長しているのは,やはり一部の建築家であり,そういう傾向を問題にできるアカデミズムやメディアの不在なのではないかとも思える。現代はそういう時代だといってしまえば,それまでかもしれないのだが,逆に僕は,もはやそういう時代ではないと考えたい気持ちもある。なぜなら建築には,インテリアデザイナーやファサードデザイナーや,マネージャーにはできない,建築にしか解決できない問題があるはずだからだ。それを「空間」とだけいうのはあまりに雑駁かもしれないが,しかし単なるスタイルやアイコンとは水準が異なる建築固有の質があるはずだ。今回のコンペでもういちど,そういうことを考えさせられた。

何はともあれ,今回のコンペは,僕が神奈川大学で研究室を立ち上げた年に,4年生が参加した,初めてのコンペだったので,多くの実力ある建築家たちの案を押しのけ,301応募案のなかから最終の7社まで残ったことは,我々や学生たちの大きな自信になったし,みな本当によくがんばったと思う。傍聴者の声を聞く限り,我々の案は,建築的にみて,野心的かつ意欲的な「空間」に対する案であることは間違いないと思えたのは収穫だった。がんばってくれた研究室と事務所の皆に感謝したい。(N)
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by nodesignblog | 2008-12-24 22:03
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