28日に横浜の情文ホールで、防火帯建築についてのシンポジウムが行われた。パネラーは横浜国大の藤岡泰寛さん、写真家の森日出夫さん、作家の山崎洋子さん、司会は建築家の笠井三義さん。藤岡先生の明快な解説はいうまでもなく、建築が専門ではない方たちのお話も面白かったが、同時に長年横浜にいる方たちにも防火帯建築のことがほとんど知られていないことを実感した。だがそれは逆にいえば、それだけ防火帯建築が横浜の日常的な風景=横浜らしい風景そのものだからとも言えるのではないだろうかと感じた。
そのレクチャーのあと、神奈川新聞の三木さんから、馬車道の鳳ビルが取り壊されることになったと聞いた。鳳ビルは助成公社リストにもない民間ビルであまり情報がないが、アーバンデザイン研究体の林さんにうかがったところでは、1959年登記、延床面積1,240㎡ということぐらいが知られるのみで、設計者や概要は不明である。写真を撮って詳しく見るなら今日しかないと思い、午後さっそく見に行った。外観は、一見ただの薄汚れた何の変哲もないビルだが、じっくり見るとなかなかユニークなビルで、結構興奮した。 まず正面外壁をよくみると、1階と2階以上で、柱らしきものの位置が全部ずれている。コーナーではガラス窓が回り込んでいる。側道の入口上にはバルコニーが派手なキャンチ梁で飛び出しているなど、構造がどうなっているのかよくわからない。中に入って調べるみると、内部はよくある店舗付住宅ではなく、1階が店舗で2階以上がアパートになっている。各階7室で合計21室。一室は約30㎡と思われる。角部屋の玄関ドアに覗き窓があったので中をのぞいてみると、建物の角の部分はきれいなコーナー窓になっていて柱が無い。外観ではてっきりガラスの背後に柱があるのだろうと思っていたのでちょっと驚いた。このことと、入口上のバルコニーのキャンチ梁が外壁から少しセットバックしていることを重ね合わせて推測すると、どうやら主要構造は正面および側面のファサードから内側に、1間(1.8m)程度セットバックしたラインにあり、そこから外壁までの床は、いわばキャンチレバーで張り出しているらしい。つまりファサードに見えた柱らしきものは主要構造ではなく、ただの壁かぜいぜい張り出し分の荷重を受けているだけと思われる。もしこの推測通りとすれば、なかなかアクロバティックな構造である。 L字型の建物の背後には中庭があり、そこには2階建ての別棟が建っている。最近学会に出した横浜防火帯建築の空所に関する論文では、鳳ビルは資料に含まれていなかったが、典型的な「閉鎖・孤立型」の空所である。ただし、背後隣地に建っていたスルガビルが取り壊されて空地になったので、いまは裏の幹線道路からもよくみえる状態になっている(すぐにまたビルが建つが)。 横浜建築祭の夜のシンポジウムは、横浜都心部の未来についてであった。鳳ビル取壊しも残念だが、隣にあったスルガビルは、実は菊竹事務所の設計である(1966年竣工)。それだけでなく、旧三井物産株式会社横浜支店倉庫、横浜市庁舎などといった歴史的な名建築ですら取り壊されようとしている。みなとみらいの開発なども含めて、行政側の街づくりへの無関心は絶望的とも感じるが、今回のシンポジウムが、少しでもそうした状況を変えていく小さなきっかけになればいいと感じた。 帰りに馬車道コンコースを通りがかったら、展示していた閲覧用のBAが全種類持ち去られて、なくなっていた。困ったものだが、持ち去りたいと思う人もいる出来栄えでよかったと考えることにした。お渡しした関係者のみなさんにも総じて評判がよい。鳳ビルもちゃんと記録しておきたいと感じた。
by NODESIGNblog
| 2015-03-01 16:00
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