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N的建築ガイド(敬称略)(2) 福岡vol.2 「北九州三部作」磯崎新

住宅であれ大きな公共建築であれ,建築を訪れたときに,それが成り立っている切実さや欲求がわかるような「リアリティ」を感じられるかどうかが,とても重要な気がする。とくに大きな建築は,とかくスケールや構造などによるフィクショナルな表現が先に立つことが多いので,余計に「リアリティ」が重要になる。先の「ぐりんぐりん」には,そのリアリティを今ひとつ感じきれなかったのが,不満だったのである。
で,その「ぐりんぐりん」に引き続き福岡建築ガイドの第2弾は,磯崎新の北九州三部作である。三部作とは磯崎新が70年代にたてつづけに建てた,「北九州市立美術館」(1974,下の写真(斉藤君撮影)左),「北九州市立中央図書館」(1974,中央),「西日本総合展示場」(1977,右)の3つを指す。
N的建築ガイド(敬称略)(2) 福岡vol.2 「北九州三部作」磯崎新_e0105010_125811.jpg

余談だが,驚くべきは,美術館の設計開始(72年)からわずか6年間でこれだけの規模の,しかもいずれも完成度の高い建物を3つも設計し完成させたということである。しかも当時磯崎はまだ40代前半で,かつ美術館の設計は群馬県立近代美術館と同時進行だった!というのは,にわかには信じがたい。たしか当時の雑誌に石井和紘が書いていたが,まさに「磯崎新の大噴火」の感がある(思えば「手法」とか「マニエラ」という言い方も,そんな大忙しな建築家だからこそ,経済的に設計を進めるうえでも重要だったのかもしれない)。僕自身は,実はこれらを訪れるのは2度目なのだが,感想を先に書くと,いずれもとても興味深く意味深い建築群だった。竣工後30年を経た今でも,その存在感には生々しいリアリティを感じることができた。

ここでは,3つのなかで,いちばん評価されにくいと思われる,「北九州市立美術館」について紹介したい。,「北九州市立美術館」は,丘のてっぺん,シンメトリー,キャンティレバー,大階段といった,これ以上ないというくらいのステロタイプ的な「神殿」風のザ・建築である。一緒に行ったある建築家は「北九州市民を馬鹿にしている」といったくらいに,確かに全体的にスケールアウトで大味な印象は否めないし(忙しすぎたのか?),現在の社会潮流から見ると明らかに環境破壊な感じだし,美術館としての動線も正直どうかと思う部分もある。しかし,あの外観の強烈なシンボリズムには,当時の沈滞していた北九州市の状況と,それを打破せんとする市長や建築家の気合が露骨に表出している。そして,建築に託されたヒロイズムを正面から引き受け,北九州という工業都市特有の風景を取り込みつつどのように表現するのかという点について,磯崎自身が真剣に受け止めているさま,必死さが伝わってきた。一見,建築家の勝手な思いだけでつくられたモニュメントのように見えるが,実は当時の状況や当事者の思いが強烈に刻まれた,実際的なオブジェクトとなっているのである。むしろ,先のぐりんぐりんの方が,見た目の優しさや楽しさに比して,存在としては,とても身勝手なもののように思えたぐらいだ。

ところで磯崎新といえば,「建築の解体」という言葉の印象が強く,後続の建築家たちからは,その後の何でもありの風潮を正当化した張本人だと思われているふしがあるが,僕がみるところ,これはとんでもない誤解で,建築の歴史や文化に対して,その追随者のだれよりも敬意を払っていて,「大文字の建築」で転向したとも言われたが,これも浅はかな理解であり,彼は徹頭徹尾,古典主義者であり原理主義者である。「建築の解体」にしても,歴史や文化の奥底に潜む建築的,空間的な原理へと遡行するという意味に捉えたほうが正しいと思う。

「北九州市立美術館」について,磯崎は,クレンツェのヴァルハラ(右写真:Regensburg市HPより)やウィーンのシェーンブルンなどを参照したといっている。N的建築ガイド(敬称略)(2) 福岡vol.2 「北九州三部作」磯崎新_e0105010_1282964.jpg神殿と王宮である。そういう過去の建築を参照することは,単なる歴史主義と考えるべきではなく,建築に託される期待や思い,社会的な問題などの切実さを,建物や空間の「リアリティ」として表現するうえで,人々がなんとなく感じているタイプ・イメージへと繋いでいくための視点だと考えるべきだと思う。それは,なんでもありの世界ではまったくないどころか,ヴェンチューリやアレギザンダーなどの思想とも通じる,良質なコンテクスチュアリズムともよべる視点である。それは「北九州市立中央図書館」でも,「西日本総合展示場」でも,強烈に感じることができる。とくに「西日本総合展示場」は,あまり建築っぽくない点で,一見磯崎らしくない建物でありながら,コンテクストから建物のイメージへと一気に跳躍する磯崎の底力を感じた。そして「北九州市立中央図書館」は,図書館というタイプ・イメージへの意識や,外形から内部の場所のしつらえ方まで,スケールのコントロールも構成もすばらしく,文句なしに傑作だと思った。

磯崎新は,その後の建築家たちから誤解された意味で評価されている。と思う。そして,その誤解に基づいて,近年の数多くの建築が,当時の磯崎の建築がもっていたような「リアリティ」への意識を失い,極めて個人的な世界に埋没していることを痛感した。(N)
by nodesignblog | 2007-09-30 04:09
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